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安全な原発:トリウム溶融塩炉ってなあーに?(4)

 
はじめに
これまで3回にわたって「トリウム熔融塩炉」について学習しました。第1回では、「トリウム熔融塩炉」と「軽水炉」の構造と仕組みの違いについて、第2回では、それぞれの炉の安全性、環境負荷、放射性廃棄物および経済性などについて学びました。これらの学習からトリウム熔融塩炉が、現在、多くの国で使われている軽水炉に比べて、確かに優れていることを理解しました。
しかし、このように優れた熔融塩炉が、現在はどうして利用されていないのでしょうか?この疑問に迫るためには、核エネルギーや原子炉あるいは原子力発電について、その歴史的経緯を理解することが重要であることがわかりました。そこで第3回では、あらためて「核エネルギー開発の歴史」について学習しました。

今回、第4回では、以下の疑問について学習したいと思います。なお、(4)「熔融塩炉」の現状と今後の課題については、さらに問題が複雑なようなので第5回であらためて学習したいと思います。

(1)「熔融塩炉」は、何故、現在使われていないのでしょうか?
(2)当初から発電用原子炉として「熔融塩炉」の選択肢はなかったのでしょうか?
(3)何故、「軽水炉型」が採用されたのでしょうか?
(4)「熔融塩炉」の現状と今後の課題はどうなっているのでしょうか?


(1)「熔融塩炉」は、何故、現在使われていないのでしょうか?
世界最初の核エネルギーの利用が、原子爆弾の製造を目的にプルトニウム生産のための実用原子炉(黒鉛減速空気冷却炉)[マンハッタン計画、1943年]から出発しました。つまり原子炉は、核兵器の製造が目的で開発されたのです。

その後の発電用原子炉の開発は、結局は軍事用に開発された原子炉を、民間に転用するところから始まりました。すなわち世界初の発電用原子炉である米国の高速増殖炉EBR-I(1951年)も軍事用に開発された原子炉の転用でした。

このころ既にトリウム熔融塩炉(米国オークリッジ国立研究所で1947年ころから研究開発)の研究開発も行われていましたが、熔融塩炉ではプルトニウムの生産は原理的に不可能であり、軍事用としては不向きな炉であったため、その後も採用されなかったと言われています。

実用としては世界初の民生用と言われた原子力発電所(1954年:ソビエト連邦のオブニンスク原子力発電所)も、やはり軍事用に開発された黒鉛減速プルトニウム生産炉をベースにした「黒鉛減速水冷却式原子炉」でした。

また、世界最初の商用原子力発電所として、1956年、英国に完成したコールダーホール原子力発電所でも、建設当初は核兵器生産の計画があり、純粋な意味での「世界初の商用炉」ではなかったと言われています。その証拠にこの発電用原子炉では、原爆製造のためのプルトニウムの生産に優れていると言われる「黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉」が採用されていました。この発電所以降、英国では黒鉛炉が主流となりました。

        英国コールダーホール原発の解体
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                                    (AP=共同)・47NEWS>共同ニュース

<http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007093001000076.html>より

世界初の「平和目的」として建設された米国初の商用原子力発電所としてシッピングポート原子力発電所が完成(1957年)しました。しかし、この原子炉も「熔融塩炉」ではなく固体燃料を用いた「加圧水型軽水炉」でした。

さらにトリウム熔融塩炉が使われないことに拍車をかけた理由のひとつとして、東西冷戦(1945年-1989年)の存在が挙げられています。これまでに学習してきたように、熔融塩炉はプルトニウムを生産できないため軍事目的には適さない「核エネルギー技術」であるからに他なりません。

東西冷戦時代のなかでもレーガンが大統領(1981年)は、ソ連を「悪の帝国」と名指しで攻撃し、軍事力としてのプルトニウム利用の大幅な巻き返しを図りました。当時首相であった中曽根康弘はレーガン路線に合わせて、1983年には高速増殖炉「もんじゅ」の建設計画を認可しました。こうした事態に至って、日本においても「トリウム熔融塩炉」は、まったく無視されるようになったと言われています。

以上のように発電用原子炉は、核兵器の製造を目的とすることを基本として発展してきたため、軍事優先の考えから「熔融塩炉」がプルトニウム生産に向いていないことを理由に採用されなかったと考えられます。そしてこの状態が現在までも継続していると思われます。

(2)当初から発電用原子炉として熔融塩炉の選択肢はなかったのでしょうか?
「トリウム熔融塩炉」は、第4世代原子炉の一つに加えられていますが、既に米国オークリッジ国立研究所で1947年ころから研究開発が進められたことは、前回第3回で学習しました。すでに1960年代に米国で実験炉が成功しています。すなわちトリウム熔融塩炉の技術基盤は、米国のオークリッジ国立研究所が構築した本格的「熔融塩実験炉MSRE」 が1965年6月に臨界に達した後、1969年12月まで事故皆無の26,000時間の運転実績があります。

ところが1973年頃、米議会両院合同原子力委員会の公聴会において、今後の原子炉を高速増殖炉にするか熔融塩炉にするかについて検討され、熔融塩炉が圧倒的に高い評価を得たと言われています。しかし、高速増殖炉の開発に既に多大な研究投資をしていたジェネラル・エレクトリック社やウェスチング・ハウス社など原子力発電産業に関わる企業が、利潤の少ない溶融塩炉には関心を示さず、またその後の米国でのプルトニウム戦略もあって、結局、高速増殖炉が優位となったと言われています。

第2回で学習したように、固体燃料を使う原子炉では燃料棒の補修交換を1年から1年半で行う必要があり、またその他の部品でも維持管理にかかるコストは液体燃料炉の比ではないと言われています。結局、この膨大な維持費用が、関連企業の利潤を満たしていると言う訳です。

こうした産業界の圧力もあり、1973年、米国のニクソン大統領は、溶融塩炉の開発責任者であるオークリッジ国立研究所のアルビン・ワインバーグを所長職から解任し、熔融塩炉(MSR)の研究開発を中止させてしまいました。
その後、1976年、米政府・原子力委員会(AEC)は、「増殖炉」開発の方向に目標を変更し、「熔融塩炉(MSR)プログラム」を終了してしまったのです。

このように熔融塩炉は、発電用原子炉としての選択肢は十分にあったと考えられます。しかし、産業界の利潤追求と核兵器増強の政策が一致する形で、熔融塩炉は意図的に無視されたと思われます。
上述のような事実を、英国の新聞・デイリー・テレグラフ(2011.3.21)は、最近における中国の熔融塩炉の技術開発の動向と関連して、「米国は持っていたボールを落としてしまった」と表現しています。まさに「溶融塩炉という宝物を失ってしまった」と言うことだと思います。

                     高速増殖炉のしくみ
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<出典:日本原子力文化振興財団:「原子力」図面集(2005)>
(http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/03/03010101/02.gif)より

一方、日本においても「トリウム熔融塩炉」を選択するチャンスが数回あったにもかかわらず、この大切なチャンスを逃してしまったと言われています。

チャンス1:「トリウム・エネルギー学術委員会」(1981年、会長:茅誠司)が設立されましたが、科学技術庁、電力会社の抵抗は激しく、トリウム学術委員会の提案をまったく受け付けなかったと言われています。そこで茅氏らは財界の土光敏夫(当時の経団連会長)に協力を求め、直ちに承諾を得ました。しかし、強力な支援者であった土光敏夫が、当時の行革長官・中曽根康弘の進言によって第二臨調会長として引き抜かれたため「学術委員会」は挫折し、また超党派の「トリウム利用推進懇談会」(会長:二階堂進)も機能を失ってしまったと言われています。

当時、わが国では既に「軽水炉」が実用段階に入っており、この時点での路線の変更は困難であったと考えられます。「トリウム熔融塩炉」推進派を弱体化させる目的で、こうした人事が行われたのかどうかは判りませんが・・・・

チャンス2:米国オークリッジ研究所の元所長のワインバーグ(1973年、所長解任)が、1983年、当時の首相・中曽根康弘に「日本で熔融塩炉の開発を進めるべきだ」と言う趣旨の親書を送りましたが、日本側はこれを無視して返事をしなかったと言われています。

当時、日本では既に第3世代の「改良型軽水炉」の開発が進行中であり、ワインバーグのアドバイスは遅きに失した感はありますが、レーガン路線を踏襲し1983年には高速増殖炉「もんじゅ」の建設計画を認可した当時の首相・中曽根康弘にとっては、当然の対応だったのかも知れません。

チャンス3:理解のない原子力委員会・原子力研究所は、終始「業界からの声がない」ことを理由にして、「熔融塩炉」を無視したと言われます。
しかし、この辺のやり取りについては、「原子力委員会・新計画策定会議議事録」[ATOMICA]から若干の情報が得られますが、背後での詳しい状況は不明です。

チャンス4:2004年11月の「原子力長期計画策定会議」において、第4世代国際フォ-ラム(GIF)にリストアツプされている「トリウム熔融塩炉」を、日本が議長国を引き受けるよう陳情しましたが無視されたと言う経緯があります。

*第4世代原子炉:安全性・信頼性の向上、および他のエネルギー源とも競合できる高い経済性の達成を目標とする次世代原子炉
*第4世代国際フォ-ラム(GIF:Generation IV International Forum):第4世代原子炉の選定作業を国際的な枠組みで進めるため、2001年7月に結成された、日本、米国、英国、韓国、南アフリカ、フランス、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、スイスの10か国で構成される国際的協議会。2030年までの実用化を目指す。

上述の「チャンス4」に関連して、原子力委員会新計画策定会議(第14回)議事録 (2004.11.12.)よりますと、「原子力委員会として是非とも、積極的に『溶融塩炉の幹事国になって推進するように要望』したい」と言う中村融氏の質問・提言に対する事務当局の回答は、
「熔融塩炉につきましては、第4世代国際フォ-ラム(GIF)において選定された第4世代原子力システムの6候補概念の一つであるものの、他の5つの炉型は研究開発プロジェクトの議論を主導する国(幹事国)が決っていますが、熔融塩炉については積極的に推進する(幹事国)国がないと言うのが現状です」
と言うまったく実態を無視した内容となっています。こうした背景には、何か計り知れない深い理由が隠されているのかも知れません。

さらにこれに関連して理解に苦しむのが米国大統領バラク・オバマの「熔融塩炉」についての言動です。2009年、ノルウェー・ノーベル賞委員会は、大統領が世界平和への取り組みや世界の核兵器保有量の削減に向けた提唱を通じ、「より良い未来への希望」を世界に与えたとして、大統領の取り組みを評価しました。当然のことながら核拡散の防止と核エネルギーの平和利用の観点からは、「熔融塩炉」に関心を示して然るべきと思われます。

しかし、今のところオバマ大統領は、一言も「トリウム熔融塩炉」に言及していないと言われています。その理由として、共和党の政策、産業界のロビーストなど抵抗勢力が多いため、迂闊に打ち出せないと言う政治的な配慮からではではなかろうか、との推測があります。我が国においても同様な事情があることは容易に想像できる、という見方もあります。実は米国は、密かに「熔融塩炉」の研究開発を継続しているのではないか、との憶測もあるようです。この点に関しては第5回で学習したいと思います。

以上のように発電用原子炉としての熔融塩炉の選択肢は十分にあったように思われますが、明確に表面には現れない「何らかの要因」によって拒絶されてきたように感じられます。

(3)何故、軽水炉型が採用されたのでしょうか?
原爆製造の目的で「黒鉛減速空気冷却炉」が作られ、その後、「黒鉛減速炭酸ガス冷却炉」から「黒鉛減速沸騰軽水炉」へ、そして現行の第2世代の「軽水炉」(減速材、冷却材とも軽水)と変遷してきました。さらに第3世代と言われる原子炉も軽水炉の改良型となっています。

世界初の平和目的で建設された米国初の商用原子力発電所と言われるシッピングポート原子力発電所(1957年完成)では、「加圧水型軽水炉」が採用されています。そして1960年代にはすでに軽水炉が実用化していました。

また東西冷戦下では核兵器の生産が必要に迫られていましたので、プルトニウムの生産にまったく不向きなトリウム熔融塩原子炉の利用には関心が持たれませんでした。しかもトリウムを燃料として利用するための着火材であるプルトニウムが、当時はまったく足りなかったことなどから、本格的な実験用の熔融塩炉が造られることはなかったと言われています。

日本初の商用原子力発電所である東海発電所(1966年完成)の原子炉は、英国製の「黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉」でした。しかし経済性などの問題からガス冷却炉はこれ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて「軽水炉」となりました。

以上のように発電用原子炉が、核兵器製造を目的として出発し、結果的にその技術を発展させると同時に経済的な理由から減速材や冷却材を軽水に変更しながらも、やはり同時にプルトニウムの生産を目的としたため、固体燃料を用いた軽水炉が採用されると言う結果になったと考えられます。

(4)熔融塩炉の現状と今後の課題はどうなっているのでしょうか?
このテーマについては、いろいろな問題が見つかってきたので、さらに調べて次回の第5回で詳しく学習したいと思います。

おわりに
 これまでの学習において「トリウム熔融塩炉」は、現行の「軽水炉」に比較して安全性、経済性、環境適合性、核不拡散等々の点において優れていることを学びました。しかし、何故、これほどの素晴らしい「トリウム熔融塩炉」が、注目されないと言うよりはむしろ無視あるいは拒絶されてきたのでしょうか?大変大きな疑問です。そこで今回は
(1)「熔融塩炉」は、何故、現在使われていないのでしょうか?
(2)当初から発電用原子炉として「熔融塩炉」の選択肢はなかったのでしょうか?
(3)何故、「軽水炉型」が採用されたのでしょうか?
の3つの疑問について学習しました。

その結果を簡単に表現すると、「熔融塩炉」は、①核兵器の生産に適していない、②企業にとって利益がない、さらに③熔融塩炉に対する理解不足や政策的な意図があった、などとなると思います。

しかし、ここまで学習してきてさらに大きな疑問が生じてきました。それは「トリウム熔融塩炉」が、言われているように本当に優れた原子炉であるならば、何故これほどまでに無視・拒絶されるのだろうか?と言う疑問です。
核兵器生産のためであればプルトニウム生産専用の原子炉を発電用とは別に作ればいいのではないでしょうか?
あえて発電とプルトニウム生産を同じ原子炉で行なわなくてもよいと思いますが・・・
また企業が儲けのために「トリウム熔融塩炉」を嫌ったというのも納得できないような気がします。企業が国の施策に利潤追求のみの目的で、そこまで深く立ち入ることはできないと思います。
さらに「トリウム熔融塩炉」は、本当に優れた原子炉なのでしょうか?本当にそれ自体に問題はないのでしょうか?
新たな疑問が止めどなく湧いてきます。
次回の第5回目ではこうした点について、できるだけ詳しく学習したいと思います。


<参考文献>
[1] 吉岡律夫:熔融塩炉の安全性について、2011/3/4
http://msr21.fc2web.com/safety.htm
[2] 亀井敬史:トリウム溶融塩炉 -安全、安価で小型
軽水炉と太陽光の弱点補うトリウム原子炉(2)
WEDGE Infinity(メールマガジン)、2011/9/27
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1509#infinity-servicetool
[3] 小森三郎:大転換すべき原子力政策、ブクログのパブー(電子書籍)
http://p.booklog.jp/book/26473/read
[4] 古川和男:原発安全革命、文春新書、2011
[5] 鈴木 篁:原子力の核燃料サイクル問題を問う(長期講座)
2.第四世代原子力候補のトリウム熔融塩炉が何故取り残されているのか(2005.03.23) http://homepage2.nifty.com/w-hydroplus/info00b2.htm
[6] 谷口正次:さよならウラン、こんにちはトリウム、米中印が続々参入…福島原発事故で浮上した未来の原発
日経ビジネスオンライン、2011年4月7日(木)
[7] 多胡敬彦:日本発次世代エネルギー 挑戦する技術者たち、学習研究社、2002
[8] Wikipedia(日本語版、英語版)
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by wister-tk | 2013-05-30 22:24 | 環境学習など